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ICHIRIDUKA ~ milemark for travelers
基本的には旅のページ。 ただ、いつも遊んでるわけじゃないんで、時々野球とか地元茨城ネタとか、気の向くままに書いてます。



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まっつー

Author:まっつー
はじめまして。まっつーです。
日本全国回ってます。
旅の手段は飛行機から船、電車、バス、自転車、徒歩まで何でも問いません。

旅した記録を、書いたのがこのページ。
辞書に”milemark”という言葉はありませんが、1マイルごとにある表示のことだそうです。日本で言うと、一里塚。
旅の記録を"milemark"として、一つずつこの日記にこめられればと思っています。

はじめてこのページにお越し頂いた方でも、だれでもコメント残していってくれるとうれしいです^^)/
よろしく!!



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藝於游(その7)―水戸の桜
弘道館の横には、旧茨城県庁、現三之丸庁舎があります。

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1930年に建てられて、1999年に県庁が移るも、
現在も水戸に最も近い庁舎として使用されている美しい建物です。

PICT0092_20091022180411.jpg

PICT0094.jpg

この時の水戸は、ちょうど桜が満開でした。
三の丸のお堀の中や、水戸駅南口にあるその名も「桜川」のほとりでは、
多くの人がお花見を楽しんでいました。
特に今年は、大雨にも泣かされず本当に、本当に美しい桜を見ることができました。

水戸って、水戸黄門の像があるだけだと思ってたけど、
なかなかにおもしろい場所でした。
わずか半日の観光だったのがただ残念。

さて、長々と続いた藝於游のシリーズもここで終わり。
水戸のおみやげには、・・・もちろん水戸納豆がオススメだけど、
今回はこんなおみやげにしてみました。

弘道館の脇に鹿島神社という神社があります。
そこに斉昭公お手植えの梅があるとのことです。
その梅の木になった梅をつけた梅干です。
季節限定、もしかしてレア物かも。
これを食べれば頭がよくなるかも?!

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藝於游(その1)―4月の偕楽園
藝於游(その2) ―好文亭と花の散歩道
藝於游(その3)―偕楽園駅
藝於游(その4)―千波湖
藝於游(その5)―光圀公
藝於游(その6)―弘道館
藝於游(その7)―水戸の桜

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藝於游(その6)―弘道館
さて、千波湖をあとにし、偕楽園の駅前にあるバス停から水戸駅行きで、中心街へ向かいます。
終点の一つ手前?でバスを降りました。
水戸から大工町の方へ向かう大通りには、京成百貨店が最近できたようで、店の一階部分にはルイ・ヴィトンまで入っていてびっくり。茨城に似つかわしくな・・・いや、失礼。

ともあれ、行った先は弘道館。
偕楽園で時間を費やしすぎて、弘道館の閉館の時刻も間近になってしまいました・・・。

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弘道館。
徳川斉昭公(烈公)が、学校を作ろうとこの地に建てました。
いわゆる「藩校」といわれる、藩で建てられたものです。
藩校といえば、長州の明倫館、薩摩の造士館などがあり、
これら幕末に立てられている学校が先の明治維新へ移行する時代に
重要な役目を果たしたことは明らかでしょう。
水戸は、二代藩主・徳川光圀が大日本史の編纂を始めてから
大日本史の執筆が代々受け継がれてきたため、どの水戸家の藩主も学に注力していました。
その中でも斉昭公は力を入れてたといえるでしょう。

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「尊攘」。
尊皇攘夷すなわち、天皇を敬い、外国を追い払うといった幕末の運動です。
大日本史の編纂は、学校で見るような日本史の歴史教科書のようではなく、
いかように大和国が道を歩んできたかが記されています。
すなわち、歴代の天皇に沿い書かれているそうです。
光圀の時代から始まり、約200年近くたった斉昭の時代には、
すっかり「尊皇」の精神が確立されていたのでしょう。

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弘道館の敷地全体が、武家屋敷のようなよい雰囲気を醸し出しています。

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ここが至善堂にある掛け軸。
至善堂は、15代将軍・徳川慶喜公が大政奉還の後に謹慎したところだそうです。
慶喜公は幼年時代この弘道館において多くを学んだそうです。
将軍となった時に手腕を振るっていたのも、ここで力をつけることができたからでしょう。
家康以来の能力を持つとまで言われたが、大政奉還後、
再び政治の実権を握ることはありませんでしたが・・・。

この掛け軸に書かれている歌は斉昭公によるもので、このように書かれています。

行く末も 踏みなたがへそ 蜻島(あきつしま) 大和の道ぞ 要なりける

左から書かれている?少なくとも右下の「那里家流」くらいしか読めないのですが・・・。

この歌の大意は、昔からの大和の道はいつまでも変わらないものだから、
信念を持って正しく進むようにというものらしいです。

ペリー提督が浦賀に来訪して以来、これまで鎖国していた日本は
外圧により開国をしてしまいます。日本での軍備増強を図る中、
長州や薩摩はイギリスと、幕府はフランスと手を組みました。
とはいえ、どの国もしたたかに日本に興味を持ち、狙っていたのでしょう。
そんな時代に詠まれたこの歌をみると、たとえ読めなくともしばし感慨にふけってしまいます。

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弘道館の展示室に飾られていたメダル。
IEA(国際原子力機関)の核融合におけるベリリウム技術の応用に関する
ワークショップの時に記念に作られたそうです。

「藝於游」
これは、「芸に遊ぶ」と読みます。
芸とは、この時代であれば、武芸や学問をさします。
遊ぶは、「遊んでる暇あったら・・・」みたいに、まじめにやらないで適当な感じもするけど、
ここでは楽しむ、といった意味になります。

つまり、武芸や学問などを楽しんで一生懸命やるようにという意の、
弘道館の精神がこの3文字に収められています。

ただ黙々と一生懸命やることは大切。
しかし、ただ一生懸命やりすぎて、そもそもの楽しむことを忘れてやいないだろうか。
楽しみがなければ、何のためにやっているのだろう。
目先に見えるものは苦しいことがついつい多くなってしまいがちだが、
この藝於游という言葉は常に心に持っておきたい、そう感じました。

幕末の激動の時代に作られたこの弘道館、
今の平成の世を生き抜いていくためのヒントが他にもたくさんあるかもしれませんね。

藝於游(その1)―4月の偕楽園
藝於游(その2) ―好文亭と花の散歩道
藝於游(その3)―偕楽園駅
藝於游(その4)―千波湖
藝於游(その5)―光圀公
藝於游(その6)―弘道館
藝於游(その7)―水戸の桜




藝於游(その5)―光圀公
水戸といってまず思いつくもの。

水戸黄門。

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少なくともテレビじゃ今第35部だから、あの年でもう35周も日本を回ったのかぁ。
いやー、元気ですね。。。
まあ、藩主としては珍しく旅好きだったのは間違いないんでしょうね。
わざわざこういうドラマを作ったからには。

日本で初めてラーメンを食べた(と記録される)人、これも水戸黄門です。

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水戸じゃそこら中に「水戸藩らーめん」ってのぼりがたってて、
その当時のレシピを再現したものをおいています。
つまり日本じゃ水戸がラーメン発祥の地、ということになりますね。
けどそれにしちゃ、お隣の栃木・佐野に負けている気がする・・・。

んで、テレビもラーメンもどうでもよくって。
水戸黄門はもっと大仕事をやっているのです。

それは「大日本史」の編纂。

・・・水戸黄門だと「この紋所が目に入らぬか!」とテレビっぽいので、
こっからは光圀公と書きます。

ちょうど光圀公が藩主だった頃、昔から愛読した
中国・史記の影響を受けて執筆を開始しました。
「日本史」といっても、年号ではなく、歴代の天皇を中心としてまとめられ、
それが幕末の尊皇の精神に受け継がれていきます。
この大日本史は、神武天皇の頃から
南北朝時代(1392年)までをまとめた397巻226冊あるそうです。
それだけの大作なので、光圀の時代だけでは書ききれず、完成したのは250年後・・・。

水戸の思想が、この編纂を通して徳川斉昭や徳川慶喜にも受け継がれてきたのでしょうか。
慶喜が将軍となり、手腕を振るうも政権を天皇に返上する大政奉還を行ったのは、
この思想による影響もあるのでしょうか・・・?

藝於游(その1)―4月の偕楽園
藝於游(その2) ―好文亭と花の散歩道
藝於游(その3)―偕楽園駅
藝於游(その4)―千波湖
藝於游(その5)―光圀公
藝於游(その6)―弘道館
藝於游(その7)―水戸の桜


藝於游(その4)―千波湖
さて、次に訪れたのは千波湖。

ここも桜の名所で、湖のほとりに桜が一周ぐるっと植わっていました。
ここも靖国神社と同じく、お花見会場でした。

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ここの湖、白鳥がいました。
スワンボートは写真から分かるとおりですが(笑)本物の白鳥がいたのです!
都市の公園に白鳥が姿見せるなんて、南関東に住んでいた人から見たら驚き。

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手近なところにいた、黒鳥。全然逃げずに、毛づくろいしてました。
のんきだなぁ・・・

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「白鳥」と「黒鳥」のご対面(笑)。「うわっ、こいつでけーなぁ・・・」

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はじめは散歩がてらに軽く一周くらいできるかな、と思ったけど、全然無理。
周囲は3.1キロもある湖だそうです。
水戸の偕楽園の庭園の一部って感覚じゃ、とてもじゃないけど回れない。

ここ千波湖と水戸偕楽園などの緑地一帯は「偕楽園公園」という一つの公園になっていて、
市街地と接する都市公園としては、NYのセントラルパーク(341ha)に次いで、
なんと世界第2位!の広さ(300ha)を誇るそうです。
水戸に世界第2位のものがある・・・そんなのはピンと来ないですよね・・・。

藝於游(その1)―4月の偕楽園
藝於游(その2) ―好文亭と花の散歩道
藝於游(その3)―偕楽園駅
藝於游(その4)―千波湖
藝於游(その5)―光圀公
藝於游(その6)―弘道館
藝於游(その7)―水戸の桜



藝於游(その3)―偕楽園駅
さて、ここで話が脱線。
この偕楽園はすぐ近くに駅があります。その名も「偕楽園」。
これがその駅です。

PICT0053.jpg

いや、駅といっても・・・「通行止」ってなってる?!


ここの駅は、梅祭りが行われる2月の2週間だけ、使われるそうです。
普段は電車はとまりません。
上から撮ったのがこの写真。

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やけに長いホーム・・・。
こんなきれいなのに、わずか2ヶ月しか使われないなんてもったいない・・・。

この駅、臨時駅だけあって、いろいろ変わっている所があります。

一つは改札口がない!!
端っこまで写りきれてないけど、実はこのホーム、改札がありません。
この駅は上の写真みたいにホーム降りたらすぐに出口らしいです。
臨時で開く時は駅員がこんな数箇所の階段に立っているのでしょう。

もう一つは、ホームが片側しかない!!
なんでも、上野方面からの電車に対応しているらしく、
東京に帰りたいと思っても、この偕楽園の駅からは乗れないそうです。
なので、東京に戻る人はいったん水戸まで向かい、そこから折り返して乗らなきゃいけません。
ううん、なぞの多い偕楽園駅。。。

ちょっといけてないところは、JRが偕楽園を二つに分断してしまっていることです。
左が好文亭のあった山で、右が千波湖のあった側です。
歴史的価値のある名園をこのように簡単に分断していいのか、というのはちょっと気になります。
もとから街道の両側にこのような園を作ったとも考えられますが・・・。

藝於游(その1)―4月の偕楽園
藝於游(その2) ―好文亭と花の散歩道
藝於游(その3)―偕楽園駅
藝於游(その4)―千波湖
藝於游(その5)―光圀公
藝於游(その6)―弘道館
藝於游(その7)―水戸の桜



藝於游(その2) ―好文亭と花の散歩道
桜山を下ったあとは、再び偕楽園の方へ歩いていきました。
途中にはたくさんの花が植えられて咲いていました。

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雪柳や水仙のほかにも、他の季節に咲く花がいろいろありました。
5月にはつつじまつり、6月にはあじさいまつり、秋には萩まつり。
もちろん、3月には水戸らしく、梅まつり。
それにしてもなぜ、茨城には梅が多いのかなぁ?
筑波山の筑波山梅林、結城の梅寺こと東持寺、日立の諏訪梅林など、
梅の名所がいろんなところにあります。
それにしちゃ梅干とか梅酒とかって、そんな名産って感じもしないけどなぁ・・・

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そんなことを考えながらも、山の上になにやら古い建物を見つけました。
手に持っていた地図を見たところ、好文亭と書いてありました。
なんだろうと思い、そちらに向かってみることにしました。

ところで、ここで偕楽園のお話。
偕楽園はそもそも、「民と偕(とも)に楽しむ」遊園として、
水戸の藩主徳川斉昭が自ら構想し作ったものらしいです。
単なるお殿様の道楽ではないようで、普通の民も自由にここに来ることができたようです。
斉昭公は民衆に最も近い所に心を置いた、藩主の一人なのかもしれないですね・・・?

この偕楽園の中にある好文亭は家中の人たちと休養をはかるために建てられました。
そもそもこの好文というのは梅の意味であり、
「学問に親しめば梅が開き、学問を廃すれば梅の花が開かなかった」
という中国の故事からとったようです。

偕楽園で梅が3千本あるということも梅=学問を指すことから植えられたのでしょうね。
筑波山をはじめとして、常陸国に梅林があるというのも、このことから納得できます。
徳川斉昭はずいぶんと勉強好きだったのかなぁ・・・?

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好文亭梅の間です。
残念ながら今建てられている好文亭は焼失してしまったため、
昭和30年に再建されてしまったようです。
他にも竹の間、松の間、そのたたくさんあるようですが、
本当にこんな襖絵に花なんか書いてあったんでしょうか・・・?

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好文亭2階からの景色。
2階といってもこの好文亭が高台にあるために、かなり眺めがいいです。
真ん中に見えるのは千波湖。
はじめは庭園の一部で池でも造ってあるのかなと思ってたけど、かなり大きい。
こんな湖が水戸の中心にあったなんて驚きです。

PICT0038_20091022163834.jpg

好文亭の2階にあったふすま。
全部漢字で書かれています。
見るだけで頭が痛くなりそう・・・。

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畳縁。こんな所にも、葵の御紋がありました。
この紋所が目に入らぬかぁ!
もし当時生きていたとしたら、決して踏んじゃいけませんね。

あと、変り種としてはこの中には「エレベーター」がありました。
別にバリアフリーの意味ではなくて。ここが作られた時代からあったようです。
食事を運ぶための滑車と箱が取り付けられた、
もしかしたら「日本初のエレベーター」ではないでしょうか。

うん、さすがHITACHIの国・・・。

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藝於游(その1)―4月の偕楽園
藝於游(その2) ―好文亭と花の散歩道
藝於游(その3)―偕楽園駅
藝於游(その4)―千波湖
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藝於游(その6)―弘道館
藝於游(その7)―水戸の桜




藝於游(その1)―4月の偕楽園
タイトル、難しい字を使ってみました。藝於游(げいにあそぶ)。
「藝(げい)」とは武芸や学問のこと。「游(あそぶ)」とは、楽しむこと。
藝於游は水戸藩での教えの言葉の一つ。
水戸藩は、徳川の御三家としては石高も小さく、
幕末の動乱では薩摩・長州の陰に隠れて、なかなか目立たない藩ではありましたが、
とても大切な、そしてぶれのない教えを続けてきたといえると思います。

偕楽園や、弘道館など水戸の観光をしつつ、こういった教えのルーツを回ってきました。

水戸に来たのは、免許の更新のため。
今回は初めての書き換えで、講習時間もちょっと長い。
とてもじゃないけど、最寄の警察署で手続きする時間はないかな、
とはるばる休日に遠い所までやってきたわけであります。

つくばセンターからバスに揺られて小一時間。
免許センター入口のバス停から間違えて反対側に歩いていってしまい、
免許センターにたどり着くまでにも小一時間。
茨城なまりのおじちゃんの講習を受けること、これまた小一時間。
ようやく免許の色も変わって、自由の身となりました。

さて、免許更新が終わって、こっからは第二の目的、水戸観光へと向かいます。
免許センター前から路線バスに乗ります。向かった先は偕楽園。
偕楽園は、岡山の後楽園、金沢の兼六園と並び、日本三公園として有名です。
そんな日本三大○○が近くにあるなら、行くしかないっしょ!
というわけで向かったのであります。

偕楽園といえば、もちろん、梅!!
ごらんの感じでした・・・

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まあ、いくらここが北関東とはいっても。さすがに4月じゃね。
南東北(みなみとうほく)って呼ばれ続けていた茨城。
思ったより緯度は高くないんだと、少しほっとしました。

偕楽園の梅林は筑波山梅林よりも大きいかもしれませんね。
早春に来たらきれいなんだろうなぁー。。

ここは梅だけじゃなく、竹林や、杉並木(花粉症の大敵!!)などもありました。

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道の途中にあった案内板を見たら、桜山というのがあるらしい、ということで
桜ならきっときれいでしょ、と向かってみることにしました。

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深い林を抜け、山を降りると電車と道路を挟んで、駐車場がある向こうに桜の咲く山があります。
護国神社の階段を上り(茨城にも護国があるのね)、鳥居をくぐると、神殿がありました。
周りには大東亜戦争の石碑やら、第二次世界大戦当時の日本の勢力図やらがありました。
東京じゃ首相が靖国参拝でどうとか非難されてるけど、
社で一礼すると、戦争の記憶を忘れさせないために作られたのか、と神聖な気持ちになります。

しかしその横では・・・桜の木の下でそこら中に、屋台やら、テーブルやら、カラオケやら。。。
しかもカラオケなんて1ヵ所どころじゃない。そこら中で歌いまくってました。
いくらなんでもねぇ・・・護国の中で飲んで騒いではないでしょぉ・・・。

藝於游(その1)―4月の偕楽園
藝於游(その2) ―好文亭と花の散歩道
藝於游(その3)―偕楽園駅
藝於游(その4)―千波湖
藝於游(その5)―光圀公
藝於游(その6)―弘道館
藝於游(その7)―水戸の桜